俳優の斎藤洋介さん(69)死去 名脇役として活躍 https://t.co/LwVeTmPBqr
— テレ朝news (@tv_asahi_news) September 20, 2020
俳優の斎藤洋介さんが19日になくなっていたことが分かりました。
ドラマの名脇役としてご活躍されていて、みなさんおなじみだったと思います。
斉藤洋介さんの死因や有名人コメント、今後のドラマについて調べて見ました。
斎藤洋介さんのプロフィール
名脇役の斎藤洋介さんが死去 69歳、人知れずがんで闘病https://t.co/lGZjW4iX04
複数の関係者によると、数カ月前にがんが見つかり入院。復帰を目指し、放射線治療などを続けていたという
— サンスポコム (@SANSPOCOM) September 19, 2020
斎藤 洋介(さいとう ようすけ)(69歳)
1951年7月11日 – 2020年9月19日
賀京子事務所を経てアクトレインクラブ所属。
愛知県名古屋市出身。千葉県松戸市在住。
学歴:名古屋学院高等学校(現名古屋高等学校)、明治大学卒業。
息子:斉藤悠。
左利き。
あの特徴的なお顔はしばしば「モアイ顔」と言われていました。また、学生時代のあだ名は「台湾バナナ」だったそうです
高校時代は応援部に、明治大学時代は落語研究会にそれぞれ所属していたそうです。
大学の落語研究会でなんと三宅裕司さんと出会っていたそうです。
テレビドラマ初出演は『男たちの旅路』第4部の「車輪の一歩」(1979年)です。
身体障害者というテーマを真正面から扱ったことで評価が高く、たびたび再放送されています
このドラマでは車椅子の青年役を演じ、初出演ながら難しい役どころながら重厚な演技を見せ、古尾谷雅人らとともに注目を集めました。
これ以降はドラマの重要な脇役として活躍し、善人から悪人までさまざまなキャラクターを演じられましたね。
初レギュラーは『1年B組新八先生』の美術教師・田中洋介役です。
生徒と敵対するが徐々に打ち解けていく新任教師を好演しました。
1994年、『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』と『家なき子』に出演し、それぞれ迫真のいじめ役で注目され。
その一方、『聖者の行進』では人の良い心優しい人物を演じ、いじめ役とは逆の役柄を演じ切りました。
暴力を振るったり虐待したりするシーンになると、「こういうことは絶対にやってはいけない」と自らの演技を通して教育したそうです。
演技を通して教育をするという偉業を成し遂げています。
斎藤洋介さんの死因は?
所属事務所によりますと
「夕食奥さんと食事を取っていたところ体調が急変し、緊急搬送され亡くなられた」そうです。
死因については書かれていなかったので、GoogleやTwitter、関係者問い合わせ等で調べて見ました。
しかしながら、死因の特定は出来ませんでした。。
亡くなる2ヶ月前には咽頭がんが見つかり治療中だったそうですが、手術も終わり通院治療に切り替えていたそうです。
斎藤洋介さんに対し有名人コメント
名脇役の斎藤洋介さんが死去 69歳、人知れずがんで闘病
「数カ月前にがんが見つかり入院。復帰を目指し、放射線治療などを続けていた」というから、がんが見つかった時は既に末期だったんだな。写真の青年は斎藤さんの次男で俳優の斉藤悠(36)。うちの息子と同い年だ。合掌https://t.co/LGhdVUCL3j
— 盛田隆二🍺Morita Ryuji (@product1954) September 19, 2020
僕が18歳の頃、ドラマ初現場で右も左も分からず…誰ともお話出来ない所、
気さくに話しかけてくれた斎藤洋介さん。もしも、またお仕事できた時に今度は自分から色んな話を出来たらと思っていたのに。
これからも精進して参ります。
本当にありがとうございました🙇♂️ pic.twitter.com/ANjZQMocQK— 久保宏貴 (@hiroooki2018) September 20, 2020
斎藤洋介さんのドラマはどうなる?
日本のウィレム・デフォー、斎藤洋介さん。小さい頃に観た「人間・失格 ~たとえばぼくが死んだら」の演技はトラウマ以外の何物でもありませんでした。合掌。
名脇役の斎藤洋介さん pic.twitter.com/PYgSaUqYcf
— スライム (@wf3fC3YOmZk3Y0w) September 19, 2020
咽頭がんの治療のため連続ドラマやバラエティー番組への出演は断っていたので、最近のドラマではお目にかかることはなかったですね。
斎藤洋介さんの死因は?有名人コメントや出演ドラマはどうなる?まとめ
一目見ればわかる特徴的なお顔をしていた斎藤洋介さん。
もちろん演技もベテランとして名脇役で活躍されておりましたね。
ガンが見つかった後も通院治療を続け、来年には俳優復帰を目指していたということもあり、残念でなりません。